偉大なる教師

OSHO 講話

瞑想犬のlove-chan
Charam撮影


偉大なる教師

The Great Teacher

Om Shantih Shantih Shantih 第二章より抜粋

瞑想犬のlove-chan
Charam撮影

私はある有名な話を思い出す。 

一匹の犬が光明を得た。さて誰にもその邪魔はできない、誰だって光明を得ることはできる。それを妨げる法律はない。光明を得ることは犯罪ではない。_ 
しかもこの犬はきわめて理路整然としていて、首都の中のあらゆる犬に説いて回った。「君たちの唯一の問題は、必要もないのに吠え続けることだ。この吠えるという病が、君たちが光明を得るのを妨げている。私を見てみなさい。私はけっして吠えない」_ 朝から夜遅くまで、あらゆる犬のところを回り、自分が光明を得ていることを相手が受け容れるまで説教した。そしてそれについて疑いはなかった。彼らは自らを恥じた_が、しかしどうしようがある?
犬は犬だ!  制服を着た人間を見るといつでも、犬は吠えずにはいられない。 犬は制服にはひじょうに反感を持っている–郵便配達夫、警察官、サニヤシン。犬は制服を着た人間を見ただけで、たちまちその人間に反感を持つ。大変な自由の愛好者だと見える。この制服は隷属を表している。犬の心にはなにか哲学があるにちがいない。なにしろあれほどの面倒を厭わないのだから–彼らは吠えくたびれている。
 自分たちが吠えるのを止められないものだから、彼らはその吠えない犬を光明を得た者として受け容れざるを得なかった。彼はほとんど犬のゴータマ・ブッダであり、その達成は偉大だった。「私たちはみんなあなたが私たちの中に生まれたことを誇りに思っています。私たちはあなたを崇拝します。私たちはあなたのことを思い出し、子どもたちにあなたが生きていらした黄金時代のことを語り継ぎましょう。でも私たちを許してください、懸命に努力はしています。
吠えまいとして頑張れば頑張るほど、ますます吠えたくなるのです」ある満月の夜、ところで犬は月にも反対だ。誰にもその理由は分からないが。実際、あらゆる言語に狂った人びとを表す言葉がある。
英語で「ルナティック」は、狂った人びと、狂人の同意語だ。だが元の意味では「ルナティック」は、月に当たった者を意味する。「ルナ」とは月の意味だ。_ ヒンディー語でも状況は同じだ。狂人はチャーンドマラ、月に殺された者と言われる。月は人びとを狂気に駆り立てる。月は海さえも狂わせる。
詩人は影響を受け、画家も影響を受ける。自殺する人たちの多くは、満月の夜にそれをする。多くの人たちが満月の夜に発狂する。 
だから犬が一晩中吠えたとしても、誰もそれを非難することはできない–彼らには詩人と共通するなにか、狂人と同じなにか、なにかの審美的センス、海と同じなにかの感情があるのだ。とにかく彼らは満月を我慢できない。そして私たちが彼らの言語を理解しないために、私たちはそれを遠吠えと呼んでいる。もしかしたら、彼らは月を褒め称える詩を詠じているのかもしれない、もしかしたら彼らの遠吠えは彼らの祈りの方法かもしれない。
 ある満月の夜、全員の犬が絶えず非難されているにも限度があると決断した。「あの光明を得た犬はあんまりだ。吠えたら、とたんにやって来るんだから。あちこちに隠れていて、犬を見張っているんだ。満月の今夜という今夜こそ覚悟しよう。死んでも遠吠えはすまい。そして、満月が見えないように我われは目を開けないでいよう」 彼らは決意した。「彼は何年もの間、懸命に努力してきた。少なくとも一晩くらいは彼にチャンスをやろう。彼はそれだけのことはした。今夜は彼を喜ばせてやろう。どの犬もそれぞれ別の場所に隠れて頑張らなくてはならない–たった一晩のことだ。朝になったら好きなだけ吠えても構わない。一晩だけだ」 
いまだかつてなかったような静寂だった。ゴータマ・ブッダは町中を回った–たった一匹の犬さえ見かけなかった。すべての犬が姿を消していた、なにが起こったのか? 
–しかも満月の夜に。それこそは彼の説教の絶好の機会だった。_ だが犬たちは暗闇の中、家の陰に姿を隠していた。彼らは、もし月を見たら、約束があろうとなかろうと、自分が我慢できないだろうと恐れていた。彼らには分かっていたノノ! 彼らは自分の弱さと意志薄弱さを知っていたので、家の陰の暗闇の中に横たわっているほうがよかったのだ。
だが、ゴータマ・ブッダはひじょうに心配した。「なにが起こったんだ? 全部の犬が死んでしまったのか?」 そのとき、月が高く昇りはじめた。そして初めて–というのは、ゴータマ・ブッダはいつも他の犬への説法のことばかり気にかけていたので、空を見る暇がなかったのだ–彼は月を見た。真夜中になっており、月はまさに中天にあった。
この犬のマスターはどうにも我慢できなくなり始めた。彼は言った。「なんということだ、これまで一度もこんなふうに感じたことがなかった!」 これまでそんな機会はなかった。彼は絶えず説教を続けていたので、すべての疼きは説教に流れ込んでいた。何時間も口を利いていないのは、これが生涯で初めてだった。とうとう堪えきれずに、彼は片隅に行って遠吠えを始めた。
彼が遠吠えを始めた瞬間、突然町中が、というのは全部の犬が誰かが約束を破ったと思ったからだ。_ 彼らはなんとか我慢して聖人に成りすましていた。誰かが裏切った今となっては、もう我慢の必要はない。約束は反古になった。そこで、すべての犬が吠え始めた。空の天井が抜け落ちた。それほどの遠吠えだった–あらゆる隅々から犬たちが姿を現した。
 その日、彼は、自分が絶えず説教していたために吠える時間がなかったのだということを理解した。吠えることと話すことの両方を同時にはできない。彼はひどく恥ずかしかった、彼は高みから落ちた。
すべての犬が彼を取り囲んで「どうしたんですか?」と尋ねた。 
この話はひじょうに意味が深い。あなたが沈黙を達成したら、その時初めて他人に沈黙するように告げる権利がある。自分の問題を解決したらその時初めて、自分で作った生の混乱から脱出する方法を見つけ出せないでいる人びとを助けることができるのだ。

(OSHO Times International日本版96号掲載/発行Osho Japan) 2003
OSHO International Foundation