OSHO ノー・マインド瞑想

OSHO ノー・マインド瞑想

OSHOノー・マインド瞑想はOSHOが編み出した、いわゆる瞑想的セラピーと呼ばれる瞑想群のひとつで、
1日2時間、7日間のプロセスです。あくまで7日間通して行われるものです。
最初の1時間参加者は意味のない音声、ジべリッシュを出しはじめます。
次の1時間は完全に静止し、沈黙し、くつろいで座ります。

それは瞑想的です。というのも、それをするのはあくまであなた自身であって、瞑想中は誰かがあなたをリードしたり、導いたり、答えたりということはありま せん。自分が自分と向かい合い、すすめていきます。もちろんみんなといっしょにやるので、エネルギーは相乗効果的に高まり、結果ひとりでやるより、より高 く、より深く入っていけるでしょう。
それはセラピー(癒し)です。ジベリッシュとその後の静寂を通じて、いままで表現されてこなかった多くの感情や過去のトラウマなどが、頭の理解を超えた ところで、表現され洗い流され、自分のコントロールを超えたところで変容と繊細さ、自身への愛と受容と明晰さが起きてくるかもしれません。
でも、それは結果として引きおこるであろうことで、瞑想の最初のステージでは、あなたはひたすらジベリッシュに入って行かなくてはなりません。マインド はあなたを引き戻そうとするかもしれません。でもそれには耳を貸さずに、ジベリッシュの嵐の中へ、果敢に、勇気をもって、真摯に陽気に入ってゆき、全身で 表現し、ジベリッシュを続けます。
最初のステージを十全に突き抜けたなら、その後には深遠な静寂、沈黙が訪れるでしょう。二つ目のステージではゆったりと、リラックスして沈黙のうちに座 ります。最初のステージの嵐で舞い上がった枯れ葉がゆっくりと地面に落ちてくるように、内側で、外側で起きていることを、ジャッジせず、あるがままに受け 容れ、見守ります。
それぞれのステージは1時間ずつで、計2時間です。
これを7日間つづけるなら、ことばでは表現できない、なにかが、起こることでしょう。
それは参加者のひとりひとりへの自分から自分への贈り物と言えるかもしれません。
ぜひこの機会に、いっしょにこの瞑想に参加しませんか。
これを1週間つづけることで、瞑想の深淵、 OSHOがノーマインド(無心)と呼ぶ境地が自然と起っていることにあなたは気づくでしょう。


80年代後半、Oshoは三つの新しい瞑想技法を紹介しました。 一つめは、ミスティック・ローズ瞑想、二つめは、ノー・マインド瞑想、三つめが、ボーン・アゲイン瞑想です。ノーマインド瞑想は一日二時間、一週間のプロ セスです。あくまで7日間通して行われるものです。最初の一時間がジベリッシュ・・・・・そしてその 後、静かに座る一時間が続きます。 Oshoはブッダホールで自らノー・マインド瞑想を指導し、その後毎晩の講話やホワイトローブ・ブラザーフッドの集いを締めくくる瞑想としてジベリッシュ 瞑想は使われています。

第1ステージ :1時間ジベリッシュ/  ジベリッシュは無意味で、でたらめな言語や音声を発するテクニックで同時に身体も動くにまかせます。それは感情の深層、過去の肉体的、精神的な記憶とつな がる助けにもなります。感じていることをそのままジベリッシュで表現し放り出します。 何かを理解する必要も意味あることをする必要もありません。ただでたらめな音声を発することを徹底的に楽しむのです。

第2ステージ :1時間観  照/ 1時間後に太鼓の音の合図があるので、そうしたら眼を閉じて完全に静止し沈黙し、くつろいで座ります。エネルギーが内側に集まり、思考がどんどん遠のき、 自己の中心にある 「深い沈黙と平安」 のなかに自分自身が沈み込んでゆくにまかせます。気づきと共に、 全面的にこの瞬間のなかに在りましょう。 「丘の上のものみ」 となって、通過するものは何であれ目撃します。思考は未来へ向かうか、過去に戻ろうとします。はるか距離を置いて、ただ見守りましょう。どんな判断も下さ ず、それにつかまらず、ひたすら現在にとどまり見守っています。 これを1週間つづけることで、瞑想の深淵、 OSHOがノーマインド(無心)と呼ぶ境地が自然と起っていることにあなたはきっと気づくでしょう。